Amalia Ulman
Amalia Ulman

「みんなのための表現」ミレニアル世代の旗手、アマリア・ウルマンがいま映画をつくる理由

Amalia Ulman

interview & text: nakako hayashi

Portraits/

SNSの登場によって、誰もが自己発信を簡単にできるようになった反面、理想の自分と現実のギャップに苦しむ若者たちが近年増えている。そんな現代社会の闇に鋭くメスをいれ、作品に昇華するアーティストの Amalia Ulman (アマリア・ウルマン) がいま、注目を集めている。Gucci (グッチ) にフックアップされ、『Forbes (フォーブス)』誌の「世界を変える30歳未満」30人にも選出。長編監督デビュー作であり、自身で脚本、主演、プロデュース、衣装デザインをつとめた『エル プラネタ』はサンダンス国際映画祭で絶賛を浴びた。

編集者であり、『here and there』の発行人の林央子もそんな彼女に魅了されたひとり。これまでに Sofia Coppola (ソフィア・コッポラ) 作品などをとりあげてきたプロジェクト「ハンカチ文集」でも本作を題材に制作している同氏が、監督本人にリモートインタビュー。彼女の映画づくりへの原動力に迫った。

「みんなのための表現」ミレニアル世代の旗手、アマリア・ウルマンがいま映画をつくる理由

家で洋服を自作していると、それをゴミと間違えた母親に捨てられてしまう。マッチングアプリで出会った男性と、あわよくば、と会ってみるも、あてがはずれて何もおこらない。セレブをスタイリングする仕事の声がかかったと思えば、その後音沙汰がない。映画『エル プラネタ』の主人公、レオを取り巻く世界は、ちいさな失敗の連続だ。

ロンドンに留学したけれど、父親がなくなって故郷スペインの小さな村に呼び戻された主人公レオ役は、美大セントラル・セント・マーチンズ卒業後アートシーンで注目を集め続ける32才の現代アート作家、Amalia Ulman が自演している。そして、母親マリア役をつとめるのは、彼女の実の母親。重要な役割を演じる中国人男性役は、彼女に映画づくりを勧めたアーティストで、Amalia の親友の Zhou Chen (チェン・ジョウ) が務める。低予算で仕上げられた白黒のDIY映画は、現代社会の貧困という切実な問題をつきつける一方で、私たちにも「思い切ってつくってみようよ!」と話しかける親密さをもっているのだ。

 

-SNSが発達して、誰もが自分の成功体験をアピールしているような現代社会ですが、あなたの映画はちいさな失敗の連続です。これは意図的ですか?

その通りです。アンチ・ヒーローものの映画に興味があります。また、環境のせいで犯罪を犯すことになるけど、それがうまくいかないといった筋の映画にも、いつもひかれます。不器用な主人公たちに。結局は犯罪に失敗してしまうというようなストーリーが、キュートだと思うんです。

-映画は母娘の日常をユーモラスに描いていますが、最後にスペインの政治情勢がニュース映像によって、客観的に伝えられます。このような社会情勢への怒りというものが、制作の動機になるのでしょうか?

最後のニュース映像ですが、たまたま映画制作が終わった翌日に国家的イベントがあって、撮影クルーがまだ全員いたので、母にマリア役の格好をしてもらい、通りに出て報道陣がくるのを待っていました。すると運良くTV局の取材に遭遇し、彼女の発言もTVニュースとして報道されたのです。ですので、私は後日その権利を買って、映画の最後に組み込みました。予期しないことでしたが、私たちはラッキーでした。

政治的な怒りというものではないかもしれませんが、階級社会への怒りはたしかに、私のなかにあり、表現への原動力になっていると思います。けれどもそれは、初期衝動としてのことであって、アートワークにするときには、充分に時間をとることが良い作品制作につながると思います。

たとえば実際に家を出る事態に追い込まれたのは、母と私がずいぶん前に体験したことですが、当時の怒りや悲しみを昇華して脚本が書けるようになるまで、充分に時間をおいたことにも意味がありました。そうした体験におかれたときの感情を知っている一方で、距離をとったことで創造的になれて、フィクションにできたのです。

-ファッションはあなたの映画のなかでどのような役割を担っていますか。たとえばあなたのアート作品であり、インスタグラム上で2015年に発表された「Excellence & Perfections」では、主人公の装いが、90年代の東京でよく見られたストリートファッションの「カワイイ」スタイルに影響されたようにみえます。それが被写体の役作りに一役かっているように思えるのですが。

キャラクターをつくる手段としてファッションを用いています。そもそもファッションがビジュアル的に大好きですし、映画で良いコスチュームを見ることが好きです。『エル プラネタ』のなかの主人公レオとマリアの装いは、私や母の日常的な装いとは異なり、衣装として考えたものです。衣装は、役者が「誰か別な人」になるために、とても重要な役割をはたすと思います。ほかの誰かになることを楽しむ感覚として、ファッションへの興味があります。

-レオとマリアがお金がないのにショッピングモールに遊びに行くシーンがありますが、そこに現代社会への批評的な観点をみることもできると思いました。

ファッションを、贅沢品としか見ない人もいます。富の象徴として。私はあまり、その観点からファッションを捉えていません。私が現代アートを学んだセント・マーチンズ は、ファッションの学校でもあります。ファッションは外見のことだけではありませんし、実際服をつくるのにたいしてお金は必要ないのです。ファッションが外見やブランドのことだけでないように、アートも贅沢品としてだけ存在するのではないですよね?

映画のコスチュームとして服自体への興味と、フェティシズムや欲望に対しての興味。これはおもに私のもつ、女性ファッション誌のようなものへの興味からきていると思いますが。また女性性についてや、現実逃避への興味もあります。このようにさまざまな側面から、私はファッションに興味を抱いています。一例として映画『5時から7時までのクレオ』があげられると思います。主人公は健康にとらわれているのですが、一方でウィンドウショッピングを、頭をからっぽにする方法として楽しんでいます。女性であり、その行為に親しんでいるから。映画における男性は、たとえば夫役で出てくる人は、飲んだくれたり、ギャンブルをするわけですが。

気を紛らわせる方法として、ウィンドウショッピング、もしくはショッピングを行う女性は多いと思いますし、お金がなければ返品すると考えるかもしれない。そういう行為を良しとしているわけではありませんが、現実と、人々がストレスにどう対処するかということへのひとつの分析なのです。

-俳優のなかで中国人の登場人物がいますが、彼はどのようにして出演がきまったのですか?

彼は映画のなかでもとても重要な役割を演じています。彼とは中国で2018年に出会ったのですが、最初は私が彼自身の映画作品に、女優として出演したんです。そこから仲の良い友達になりました。私たちは映画への趣味や興味の持ち方がとても似ていたんです。彼は私が映画を撮るように、とてもはげましてくれましたし、実際制作面でも、テクニカルなことなどもいろいろと助けてくれたんです。これが私の第一作でしたし、誰でも良い役柄ではなくて、私が快適でいられる相手でなくてはならなかったんです。彼はまさにそういう人でした。

-映画のなかでコンピューターに貼られた動物のステッカーにカタカナが書いてあったのですが、日本文化はあなたにとってどういう存在ですか?

私は日本文化に深く影響を受けています。10代のころ、文化的な刺激のほとんどは日本文化からきていました。漫画を読んでアニメを見て、日本の音楽を聴いて。だから、日本文化はとても、とても私にとって重要なものなんです。『茶の味』など、日本の映画も大好きです。日本映画におけるセクシュアリティの描きかたに、とても影響をうけています。Hal Hartley (ハル・ハートリー) も大好きな映画監督ですが、彼のパートナーの二階堂ミホも大好きです。

-あなたのウェブサイトを見ると、作品履歴がずらっと並んでいて、そのなかにはアカデミックなレクチャーも、あなたのアート作品として並べられています。現代アートの作家としてもとても期待されているなかで、誰にでも楽しめる映画にも活躍を広げたのは、より広く人々とコミュニケーションしたいという思いからでしょうか?

アートの世界にむけた作品は、一部の人々にむけたものです。より複雑で、ある種の教育を受けた人しか理解できないかもしれません。映画はより民主的、デモクラティックなので、わたしは両方でやっていきたいと思うんです。みんなに理解してもらうために、わかりやすくするつもりもないですし。一部の人にむけたような作品もつくれば、みんなのための作品もつくるし、たくさんの層がある作品にしたいとも思っています。映画をつくることは、みんなのための表現に私をむかわせてくれます。