Nakako Hayashi
talks about her new book "Why we create – Fashion and art that begins from daily life"

【インタビュー】 対話が生まれる、垂直ではなく水平な関係。林央子の 『つくる理由』

『つくる理由 暮らしからはじまる、ファッションとアート』(DU BOOKS)

Nakako Hayashi talks about her new book "Why we create – Fashion and art that begins from daily life"
Nakako Hayashi talks about her new book "Why we create – Fashion and art that begins from daily life"
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【インタビュー】 対話が生まれる、垂直ではなく水平な関係。林央子の 『つくる理由』

Nakako Hayashi
talks about her new book "Why we create – Fashion and art that begins from daily life"

interview & text: maki takenaka
edit: miwa goroku

「前に進めなくなったときに、気づきをくれる言葉を投げてくれる人は、ものをつくる人や、アーティストだった」── 編集者・林央子の新刊 『つくる理由 暮らしからはじまる、ファッションとアート』 は、そんなイントロダクションからはじまる。名著 『拡張するファッション』 から10年ぶりとなる待望の書き下ろし新著 『つくる理由』 は、その10年の間に重ねてきた作家たちとの対話の記録である。

美術展にもなった 『拡張するファッション』 では、Sofia Coppola(ソフィア・コッポラ)や Miranda July(ミランダ・ジュライ)、Susan Cianciolo(スーザン・チャンチオロ)、BLESS(ブレス)といったアーティストとの対話が紡がれていた。『つくる理由』 に登場するのは、青木陵子、竹村京、居相大輝、 山下陽光、PUGMENT(パグメント)、田村友一郎、L PACK.(エルパック)、金氏徹平、志村信裕といった日本人作家たち。彼らの言葉は、ファッションやアートといったカテゴライズを超越し、今を生きている私たちの暮らしにも寄り添い、これから向かうべき道を照らしてくれる。

「水平的な関係」 を重視し、対話やコラボレーションを楽しみながら行い続けている林央子が、新著に込めた想いとは。本作発売を目前に控えた6月某日、現在ロンドンに住んでいる彼女にオンラインでインタビューを行った。聞き手は 『つくる理由』 のメイキングを連載していたコミュニティメディア 「She is」の元ディレクターで、現在 「me and you」 代表を務める竹中万季。

 

作家との対話のプロセスを含むような本にしたかった

── 2011年に刊行された 『拡張するファッション』 の続編として 『つくる理由』 の構想が動き始めたそうですね。

『拡張するファッション』 は90年代の終わりから雑誌などに書いてきたものを集めた本でした。その後、書き下ろしのお話をいただいたときに 「やっぱり私は人だな、インタビューだな」 と思ったんです。アートとファッション、両方のつくり手の話を聞きたいという考えがあり、これまで活動を続けてきました。その動機をストレートに伝える 「『つくる理由』という本にしたいんです」と打ち合わせでお話しました。

 

── さまざまな作家の方との対話が 1冊になっていますが、こういう人にお話を伺いたい、というのはあったのでしょうか。

他にも話を伺い、実際に原稿に起こしていた方もいました。10年を通じて取り組んできましたが、それぞれ取材時期や取材にかけた時間も異なります。”つくる理由” は本当に人それぞれなので、一括にはできない。ただ、私がやるのだったら、既につよい言葉を持っている人よりも、自分を持ってはいるけれど一緒に言葉を探していけるような人の話を聞きたいというのがありました。逡巡しながら、昨年秋ごろになって今の形が見えてきました。

 

── 今回の本の装丁はデザイナーの小池アイ子さんがつくられています。『つくる理由』 の題字が生まれるきっかけとなったというレクチャーのフライヤーや、ソフィア・コッポラ作品への応答としてつくられたハンカチ文集 『here and there bis』 のデザインも彼女によるものでしたね。

アイ子さんには出会ったときから彼女のセンスに惚れ込んでいろいろお願いしてきました。今回は 「作品図版だけでなく作家が用意していた資料や、場合によっては私の私物なども本に含めたい」 というコンセプトや、みすず書房の本のデザインが好きなことをアイ子さんに伝えていて、そこからアイデアを広げてもらいました。表紙のTシャツは去年買った山下陽光さんの 「途中でやめる」 のもので、これを表紙にできたらという話をしていました。中表紙は、取材のもとになった私の資料類をまとめて一箱アイ子さんに送っていて、そのなかから彼女がチョイスしてデザインしてくれました。その箱には、例えば青木陵子さんと本のおすすめをしあっていた頃に往復した本なども入っていました。

『つくる理由』中表紙

取材過程における作家とのやりとりを、本を通じて読者に届けたいという思いがあったんです。ギャラリーに行ったら展覧会の資料が置いてあるし、作家やギャラリーからは展覧会の招待状をいただきます。自分で作品集をつくっている方もいます。そうしたものも作家と観客あるいは作品を買う人との関係性やコミュニケーションを担っているんですよね。作家との対話のプロセスを含むような本にしたかったということなんです。

『つくる理由』 の題字が生まれるきっかけとなった竹村京さんが担当する東京藝術大学のレクチャーシリーズのフライヤー(デザイン:小池アイ子)

作家・編集者/つくり手・買い手の水平な関係性

── 林さんは 『here and there』 などを通じてこれまでも継続的に作家と対話をし、その声を届けてきました。なぜ作家との対話を重視されているのか、あらためてお伺いしてみたいです。

私が 『花椿』 の編集をしていた頃は 「雑誌の仕事」 としてアーティストと会っていました。5年目くらいからパリコレに同行するようになったんですけど、ショーを見れるチケットには限りがあって私にはほとんど回ってこなかったんです。上司に 「空いた時間はギャラリーや展覧会を見に行ってください」 と言われ、自分で調べていろんな場所に足を運ぶなかで、『Purple』 を始めた頃の Elein Fleiss(エレン・フライス)と知り合いました。彼女のまわりは現代アートのアーティストばかりでした。彼女との出会いを通して、出張中に一世代上の作家たちとプライベートタイムに会う機会ができたんです。すると、アーティストたちは 「あなたはパリコレでどんないいものを見たの?」 と真剣に聞いてくる。フランス人の哲学者はモードのことも書いているし、ファッションは決してマージナルなものではない扱いなんですよね。それが日本ではあまりない経験で、びっくりしたんです。ちゃんと話さないとせっかくの出会いが台無しになる感じがあったから、こっちも本気で答えていました。

 

──  仕事として用意された場ではなく、自然な流れで作家との対話がはじまったんですね。

そうです。あと、エレンに紹介されて親しくなった Dominique Gonzalez-Foerster(ドミニク・ゴンザレス゠フォルステル)というアーティストがいました。彼女が2001年に 「Petite(プティート)」 というアニメーションの映像作品をつくっていたのですが、その作品のコンセプトが 「ゆっくりすること」 だと話してくれたのを今でもよく覚えています。当時は Eメールが普及し始めていて 「もっと早く世界がつながろう」と、経済もビジネスもグローバリゼーションが広がっていった頃でした。情報を得られれば得られるほどいいといったムードがある一方で、それを負担に感じる部分もあったので、彼女の作品は時代の気分を先取りしているように感じました。それからスローライフという言葉が出てくるようになっていったので、「アーティストってすごいな」 と思ったんですよね。

 

── アーティストと対話をすることで、その時代を生きていくための知恵を得られる感覚があった。

一方で、2003年には村上隆さんが Marc Jacobs(マーク・ジェイコブス)による Louis Vuitton(ルイ・ヴィトン)とコラボレーションして記者会見をしたりする時代を迎えていました。そうした記者会見は 「対話」 の対極なんです。そこにどういう立場の誰が来て、どういう言葉を発するか、メディアはそれをいかに効果的に伝えるか、ということに終始していました。
私が対話形式を意識したのは、Susan Cianciolo(スーザン・チャンチオロ)との出会いも大きかったのかなと思います。『花椿』 の特集(1997年2月号)でスーザンに出てもらったことがあるのですが、彼女の声を 「ニューヨークの若手のファッションデザイナーの声」 という枠に押し込めるような無難な情報としてまとめることもできる。そのための取材だったんだけれど、実際に彼女が前にいると 「なんでこういうこと言うの?」 みたいなことばかり言うんです(笑)。そうなると、もう一度会いに行ってみたくなる。わからないと思う私がいる、わからないと言っていい、ということが、対等な関係です。水平的な関係と垂直的な関係があって、対話というのは水平な関係を求めていることに尽きると思います。それは服を購入するという行為についても言えることではないでしょうか。

 

──  『つくる理由』 のエピローグでも 「私たちもまた、つくり手に」 という言葉で締めくくられています。マルクスの 『経済学批判』 の 「生産がなければ消費はなく、消費がなければ生産はない」 といった言葉を引用されていますね。

90年代にパリコレで活躍していたデザイナーの服を日本人はたくさん買っていたけれど、売り手がつくるだけではなくて、人に買われて生活の中で作品が生きていくという要素もある。言語化される機会はほぼないけれど、そこにも対話が、本来はあると思うんです。2000年以降、アートもファッションも商業化が進みましたが、それとともに、買うだけではないフィードバックというか、作家の側もまた対話を求めているような気がしています。

 

「コラボレーションはみんなやってる、パン屋さんだって同じ」

エレン・フライスやスーザン・チャンチオロも参加した 『here and there 2020 vol.14 Collage Issue』

──  林さんは本をつくる過程も出版後も、個人と個人の出会いで生まれたつながりを大切にされていて、たのしみながら共につくる、コラボレーションの感覚を大切にされていらっしゃるように感じます。

対話もコラボレーションも似ていると思うんですけど、あの人はファッションデザイナーで、自分は編集者で……と立場を区切って話を聞きたいと思わないんです。雑誌メディアの存在が確信されていた80年代や90年代においては、枠の中の役割を器用にこなせるほうが優秀な編集者だと思われていました。でも、役割を固定していると 「この言葉をもらったらそれで終わり」 となるし、そういうふうに自分はできないな、というのが実感としてありました。

『Purple』 のエレン・フライスたちがまわりのアーティストたちと共に現代美術の展覧会をつくっていたのが魅力的に思えました。スーザン・チャンチオロもニューヨークのアーティストをたくさん招いてパフォーマンスをしていて、そこにも自由を感じました。以前スーザンに 「何であなたはコラボレーションするんですか?」 と聞いたら、「みんなだってやってるじゃない、パン屋さんだって同じよ」 って言われたんです。「パン屋さん」 だとしたら買ってもらう相手がいるから、自分がやりたい要素だけでなく相手が求めている要素も入れますよね。人とつくるということは意見が違ったりぶつかったりがあるかもしれない。それでも人とやってみることの豊かさのほうを私は選びたいなと思っています。

 

── 今回も、以前から親交があるという September Poetry の矢野悦子さんが小池アイ子さんのデザインでバッグをつくったり、『here and there 13.5』 でも表紙に登場している新川寛幸さんが自ら滋賀県彦根市の書店 MITTS Fine Book Store でフェアを企画されたり、さまざまな 「共につくる」 動きがあったそうですね。

『つくる理由』 の完成記念バッグをつくるにあたり、作家のみなさんに、夏至の日に写真を撮ってくださいませんか、とお願いをしました。そして集まった写真を、アイ子さんの感覚でコラージュしてもらい、悦子さんがそれをいいですねって言ってくれて、本当にスムーズな流れで出来上がりました。新川さんも好きなことだったから自由に企画をしてくれたのではないかと思います。心から共感できるものだと、自発的に人は動くことができるのではないでしょうか。一方で、理解できないことに取り組むと、ときに支配的な関係になることがある。

 

──  水平の関係ではなく、上下の関係になってしまう。

90年代、ガーリーフォトで女性の写真家が台頭した時期がありました。当時の社会の構図として、活躍する女性の若手作家に依頼する人は男性が多く、その中には 「理解できないけれども発注しなければいけない」 という事情で依頼している場合もあったのではないでしょうか。支配的で不健康な関係性が現場で増えていったように思います。

私も、理由も教えてもらわずに上から指示される仕事をこなしていたこともあるけれど、共に話し合って場をつくっていくエレンたちの姿を見て、仕事ってそういうものであるべきだとずっと思っていました。以前は 「有名なブランドだから」「大きい仕事だから」 という軸で仕事をしている人も結構いたけれど、人が動くというのは本来そういうことではないんじゃないかなって思うんです。高い報酬だからとか有名ななにかだからではなく、自分が自分として扱われて、やりたいと思えることをやれる。そういうことを大切にしたいと考えています。

作家の生き方を通じて、この時代に生きている自分の生き方を考える

──  本を通じて、東日本大震災、新型コロナウイルスの蔓延、コミュニケーションの変化、高度資本主義やグローバリゼーションへの疑問など、この10年間に起きたさまざまな出来事について触れられていましたが、あらためて2011年から2021年はどのような10年間だったとお考えですか?

2000年代は 『STUDIO VOIVE』 や 『流行通信』 がなくなったり、Maison Martin Margiela(メゾン マルタン マルジェラ/現 Maison Margiela)から Martin Margiela(マルタン・マルジェラ) が抜けたりして、90年代のよかったものがなくなっていく過程ですごく混沌としていたと思います。2010年代に入るとスマホや Instagram などが普及して定着しましたよね。居相大輝さんや山下陽光さんのように、東京にいなくても好きな土地を拠点にして服をつくり、流通することもできるようになったのはすごくメリットがあると思います。2010年代は天災が多く、日本は生きることの自問自答をする機会が多かったように思う。80年代〜90年代はまだ終身雇用が信じられていて、終戦後の 「国を豊かにしなくちゃ」 という感じが続いていたと思うんですけど、00年代からそれに対し 「あれ?」 となってDIY的な生き方をする人が増えてきた。東日本大震災以降は一部の人だけでなくみんなが自分の生き方を考えるようになったと思うんです。移住する人も増えましたよね。

 

──  林さんは2019年の秋にロンドンに引っ越されていらっしゃいます。本の中ではつくる人と暮らす場所の関係性についても考えを深めていらっしゃいますね。

地方に移住している人はとくに、複数のことをする生き方が当たり前になってきているのではないでしょうか。彦根のブックフェアを企画してくれた新川さんも関西を拠点として音楽も演奏すれば zine もつくるし、写真も撮る。90年代にソフィア・コッポラがやりたいことを一つに絞れなくていい、いろいろやってみましょうと言ったり、そうしたカルチャースターが現れていましたよね。そうした流れの後に、今の時代はみんなが自分の好きなことを複数展開して、自分たちで場をつくりながら生きる人たちが出てきている。そういう生き方のほうがだんだん普通になってくるのかもしれないと思います。

 

──  最後に、どんな人にこの本を手にとってもらいたいですか?

この本を読んだ何人かの方に 「自分の考えを代弁されたような気がした」 という言葉をいただきました。「無意識はみんなつながっている」 という言葉があるけれど、それぞれの作家の生き方や考えを聞いているようで、この時代に生きている自分の頭の中でも渦巻いている思いが書かれていると思ってもらえたら、と思います。ちょっと困難を感じている人に手に取ってもらえて、なにかヒントをつかんでもらえたら嬉しいです。あきらめないでほしい。

 

林央子の Instagram (@nakakobooks) にて、今年の夏至の翌日(6月22日)に投稿されていたこの1枚は、『つくる理由』 完成記念バッグにもコラージュされている。