miyako ishiuchi
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身体性によって生み出される展示空間とは? 写真家・石内都インタビュー

miyako ishiuchi

interview & text: tomoko ogawa

Portraits/

痕跡も、歴史も含めた身体を撮影し、表現し続けてきた日本を代表する写真家・石内 都が、次世代の作家として、頭山ゆう紀を選定した2人展、A dialogue between Ishiuchi Miyako and Yuhki Touyama「透視する窓辺」を、KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2023 にて開催中。石内が母をひとりの女性としてとらえ、母の遺品を撮影した〈 Mother’s 〉シリーズの作品と、頭山が友人の死をきっかけに撮影を始めたシリーズ〈境界線 13〉、祖母を介護し看取るまでの日々を写した最新作が対話的に展示されている。これまでもグループ展や写真家・楢橋朝子との2人展などで作品を展示してきた石内だが、お互いの作品が交差する展示表現は初めての試みだとか。KYOTOGRAPHIE の開幕直後の彼女に、展示という魅力について聞いた。

身体性によって生み出される展示空間とは? 写真家・石内都インタビュー

―展示  A dialogue between Ishiuchi Miyako and Yuhki Touyama「透視する窓辺」が決まった経緯をお伺いできますか?

KYOTOGRAPHIE と3年連続でパートナーシップを組んでいる)ケリングの方から「次世代の女性写真家を選んで2人展を」という依頼を受けて、すぐ思い浮かんだのが頭山ゆう紀さんでした。個人的な付き合いはなかったんですが、2006年の「ひとつぼ展」で、〈境界線13〉という作品を出していた彼女を、審査員をしていた私は最後まで推していたんです。それで、私の展示にも来てくれたことのある彼女のおばあさまが亡くなって、そのすぐ後にお母様も急死されたと聞いて。私は母の遺品を撮影した〈 Mother’s 〉のシリーズを展示することは最初から決めていたので、頭山さんがおばあさまを看取るまで介護していたときに撮影した写真を見せてもらったら、やっぱりすごくいいなと思った。だから、3人の女が亡くなったということがあって、そこから私と彼女の今までの写真の関係性を見せるというのが、今回の展示。

―京都・室町の帯屋、「誉田屋源兵衛 竹院の間」での展示ということで、被写体としての空間を、歴史、息遣い、空気を有機的なものとして捉えていらっしゃる石内さんは、歴史のある会場での展示構成に関して、どうアプローチをしていったのでしょうか。

実際の空間に立って見てみないとわからないので、一度見に来ました。私にとって、展示構成を考えるということは、とても身体的なものなんです。計算とまではいかないけれど、身体で空間との距離を図っているんだよね。しかも、空間って、1回見ただけじゃわからないんですよね。その後は、平面図を見ながら考えるしかないわけだけど、上から俯瞰した平面図を眺めていても立ち上がってこないのね。それで、どうするかというと、展示する点数は決まっていたので、立て込みのタイミングで来たときにその場で細かく詰めていく。通常の展覧会会場ではなく 伝統的な日本家屋だから、いろいろと問題は出てくるんですけど、私はあるものは隠したくないんですよ。お互いに邪魔にならないように利用し合う、空間とのコラボレーションが大切だから。 今回、初めて建築家の千種成顕 ( ICADA )さんが入ってくださったので、彼とのコラボレーションでもありました。結果、まあうまくいったと思います。

©︎Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2023

―確かに、これまでの KYOTOGRAPHIE の「誉田屋源兵衛 竹院の間」会場の展示の中でも、建築に寄り添っている印象を受けました。特に、階段の上に飾られた、着物のプリントが目を惹いて。

中央に階段があって、人が上に登っていかないための結界をつくるという案が出たときに、それはやめてほしいと思って。じゃあどうするかと、サイズの大きい着物の写真をパッと置いてみたら、ぴったり収まったの。それもひとつの計算だった。あれはもともと使うつもりじゃなかった、一番厄介な写真なんですよ。帯屋という会場の性質を意識して持っては来たものの、あまりにも和っぽいイメージが強くなるのは嫌で。そこら辺のせめぎ合いがたくさんある中で、持っていって、置いてみる。それで合わなければ外すんです。そもそも写真って、平行した一曲線に飾られがちでしょう。大きさも大体一定だし、それがすごい苦手。私は見てもらえる時間を増やしたいから、段差があったり、サイズも大小あったり、そう簡単には見れないように考えるんです。

―入って左側の小部屋は、紺色の壁で石内さんの〈 Mother’s 〉が、右奥の水色の壁には頭山さんの〈境界線13〉と新作が飾られ、間をつなぐようにシルバーの壁には2人の作品が混ざり合っていて、場所の持つ空気と調和しながら対話しているように感じました。「六本木クロッシング2022展:往来オーライ!」でも、壁の色は、青系の淡い水色でしたね。

私は、基本、茄子紺、シルバーが好きで、ずっと使ってる馴染みのある色なんです。やっぱり、私の好きな色の上に、写真を飾りたいんだよね。あまり見ないかもしれないけれど、やったら、意外と合うし、評判もいいんですよ。森美術館のときは、薄い空の色だったよね。あれも初めてでしたね。赤っぽい色はあまり使っていないですね、どちらかというと青系、灰色系だね。でも、ここの空間には、少し明るい色がいいかなと思って。

©︎Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2023

©︎Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2023

©︎Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2023

©︎Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2023

―そもそも2人展はあまりされていないですよね。

楢橋朝子さんとの2人展は、れぞれの壁面にそれぞれの作品を展示する方法だったので、お互いの写真を入れ込んだ状態でやるのは初めてですね。ただ、 彼女と私の写真が並んでいても、違和感ないですよね。展示中に2人でトークをして、なるほど、と思った。頭山さんの写真を気に入っているのは、何か私とセンスが似ているってことなんだろうね。根本的に、同じような問題意識があるのかなと思います。だから、私は彼女を選んだんだなと。2人の写真を並べて置くと、お互いの写真の見え方も変わってくる。そういうことを面白がる、楽しむ。私、こういうこともできるんだなと思いました。まあ実験みたいなものですね。

プレス内覧会の際、「この作品で何か伝えたいことは?」という質問が出た際に、「ないです。ドキュメンタリーではないから」と即答されていたのを聞いて、写真は本質的に記録するという機能を持っていて、どうしても記録になってしまうからこそ、なるべくそうならないように意識されている、というお話を石内さんがされていたのを思い出していました。

写真は、伝える、記録する。目的がはっきりしてるんですよ。写真の基本、王道はそこだからね。それがすごく嫌で。初期に私が撮っていたものは、一見、ドキュメンタリーのような意味と誤解されやすいものが多かったから、横須賀だったり、アパートだったり。だから、ツッパっていた頃はあったし、「私はドキュメンタリー作家ではありません。伝えたくありません。記録ではありません」とずっと言ってきた。でもね、結果としては記録になったり、伝わったりしちゃう。もうそれは仕方がない、運命だからと諦めてはいます。というか、もうそれも、嫌がっちゃいけないと、面白がろうと思うようになったの。大人になりました(笑)。

何か面白がれるようになったきっかけがあったとか?

記録じゃない形の写真を作りたいというのは、私が写真をやる上でのひとつのエネルギーだったんです。写真は創作で、物語であると思っていたから。でもこの間、ある雑誌に森山大道の特集をするという時に、1981年の〈 From YOKOSUKA 〉の展示会場の中にツーショットがあるかと聞かれて、あったんだけど、そういう写真を見た時に、私が一番嫌がってた記録性の重大さを発見したよね。41年前の時間が記録されている、そういう機会が今はあるっていうことですね。

2005年のヴェネチア・ビエンナーレ日本館で〈 Mother’s 〉の展示をされてから18年経ちますが、パーソナルなものから公のものに、母からひとりの女性になっていくという感覚は、さらに深まっていくものなのでしょうか。

喪失感を埋めるために撮っていたときは、それどころじゃないし、まさか、こんな母の下着や口紅が作品になるなんて夢に思わないわけだから。遺品は、使ってた人が凝縮された物ですよね。形見なわけでしょ。形見があるというのは、その人はもうどこにもいないけれども、違う形でそこにいることと一緒なんだよね。でも、時間が少しずつたってプリントして、客観的に見ることができた時に、初めて作品として提出できる。つまり、時間が経たないと、作品にはなっていかないし、客観的な距離感も変わってくるんですよね。つまり、私の見方もどんどん変化して、それで母の作品そのものが自分の手から離れていく感覚。どう説明したらいいか難しいんだけれど、感情的なものがなくなってきて、なんか爽やかな感じになってくるんです。

この展示は、クリエイティブな世界の女性たちの貢献を紹介し、芸術と文化をサポートする「ウーマン・イン・モーション」というケリングのプログラムによって支援を受けています。素晴らしい取り組みであると同時に、女性として括られることに若干の違和感を覚えるという声もなくはないですが、現在の石内さんは女性写真家と名乗ることに対して、肯定的ですか?

自分が女性であることは、嫌がってはいませんね。かつて「女性写真家」と言われて、確かにそうだなと思ったことがあって。〈ひろしま〉で被爆者の遺品を撮りながら、これを着ていたのが私でもおかしくはない、というリアリティを感じてほしいんですよね。それまで男たちによる広島写真はたくさん見てきたけれど、〈ひろしま〉はどう考えても女しか撮れない写真だと思いました。だから、女性であることはひとつの資質であり、特性であり、個性です。私は女性写真家であることを肯定的に考えています。女にしか撮れないものもあるんだよ、と。

© Ishiuchi Miyako Mother’s #57, Courtesy of The Third Gallery Aya

石内さんは展示することが大好きであると、とお話しされていますが、その理由とは?

展示ってなんなんだろうな……。不思議だけど、昔から好きなんだよね。一番初めの観客は自分、という意識がすごくあるんです。それは客観性を持つということ。いろんな人に見てほしいと思うからこそ、その前段階としてね、搬入が終わった時に、自分がどれだけその写真を、展示を客観的に見れるか。そのプロセスが好きなんです。ちゃんと距離を持って自分自身を見れるというのは、良い悪いを超えるっていうことです。シビアになるしかないからね。自分が納得できない展示は人に見せることはできない。自分の写真は、一番美しく見える場所に展示したいし、それがどこなのか、私はわかるんです。見る人には、好きに見てほしいんだけどね。私は、ほとんどキャプションはつけません。キャプションは、押し付けがましさがあるから。こう見てくれという欲求は一切ないので。好き勝手に見て、好き勝手に言いたいことを言ってもらえたらそれが一番です。

@kering