john pawson
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「建築のデザインは己の哲学、ライフスタイルが反映されるもの」建築家ジョン・ポーソンのネオ・ミニマリズム

john pawson

photography: wataru kakuta
interview: akio kunisawa
text: nami kunisawa

Portraits/

John Pawson (ジョン・ポーソン) はロンドンを拠点とするミニマリズム建築の代表的存在として認知されているが、彼のミニマリズムの視点は対建築デザインにとどまらず、表現様式として定義されている各文化の範囲を超越する、哲学に近いものである。同氏のまなざしは歴史的遺物から自然風景、光と陰影、修道院、工芸品やアート作品、家具やインテリア、日用品に至るまで、平等かつ正確に注がれており、これらを包括的に「建築」と総称しているのだ。

分野を超えた美学的なリンクの一例として、ミラノの Valextra (ヴァレクストラ) の旗艦店、表参道の Jil Sander (ジル サンダー) 路面店のインテリア設計がある。いずれもシンプルかつタイムレスな構造で、全面ライムストーンのやわらかい白の色調にライティングやチェリーウッド材によるアクセントが加えられ、高度に洗練されつつも温かみを感じさせる空間となっている。

同氏は「建築」をとりまく環境や人間の行動といった基盤を洞察した上で、余分な情報を削ぎ落とし、クリティカルな要素を的確に配置して相乗効果を生み出す。「建築」を通して人々の感性へ働きかけ、双方のポテンシャルを最大限に引き出しているのだ。

「建築のデザインは己の哲学、ライフスタイルが反映されるもの」建築家ジョン・ポーソンのネオ・ミニマリズム

今回、表参道のアートギャラリー The Mass (ザ マス) にて日本初の個展「John Pawson」を開催。自身の自宅を撮影したシリーズ「Home」、スペクトルの色調に対応する色彩の写真をあつめた「Spectrum」、御影石で作られた建築的インスタレーション「Lunula」の3部構成で、いずれの作品も同氏のミニマリズムの視点が写真を通して展開され、彼の「建築」を体験できる内容となっている。同展の開催に際して来日した同氏に建築から写真まで話をうかがった。

—写真を撮り始められた経緯を教えてください。

1970年代に初めて日本を訪れ、英語教師をして生計を立てていた当時、コミュニケーションの手段として写真を利用していたのがきっかけです。また建築のデザインをチーム内で共有する際、情報伝達のために写真を使っていました。ただし被写体をオブジェクトとして捉えるのではなく、あくまでアイディアやニュアンスを伝えるためのイメージとしてであり、自分の思考をメモするノートがわりの意味合いです。他の建築家とプロジェクトについて話し合う場面でも、建築物の周辺環境・自然風景・木々など、全体感を記録するために写真を利用しています。こうした写真は、作品としての発表を目的としたものではなく、あくまで個人的な記録として撮っているものです。写真は毎日、主に iPhone で撮っています。絶対に何かを捉えようと気負うのではなく、リラックスした状態で、日々目にする様々なものを写真に収めています。自然と写真が溜まっていきますね。写真の集積が直接何かを成すわけではありませんが、潜在意識の中に瞬間のイメージが蓄積され、建築のアイディアなどへのコネクションが生まれる可能性はあると思います。

—今回の写真作品や写真集も個人的な記録の一部ですか?

そうですね。写真作品はこの10年の間にデジタルで撮り溜めた中からピックアップしています。写真集の『Spectrum』については、Phaidon (ファイドン) という出版社からこれまで私が撮った膨大な写真を本にしたいというアプローチがあって、発刊されました。色調のスペクトラムというテーマで、それぞれの色に対して相関するような写真を320枚選び当てはめていったものです。写真集も展示も、建築を作る時のようにチームで進めています。個人的なプロジェクトであっても、チーム全員で形にしていくのはとてもエキサイティングですね。

—日本に来られたことが建築家としての道を歩まれるきっかけになったと伺っています。今回のインスタレーション「Lunula」には、時間や喧騒から離れて無心になれるような作用や、禅のような要素を感じます。実際に日本文化から受けた影響はありますか?

多いにありますね。日本は第二のホームのように感じています。私が建築に進むきっかけを作ってくれたのは、70年代に東京でインテリア・デザイナーとして活動されていた倉俣史郎氏で、彼から受けた影響が全てと言っていいと思います。20代で当てもなく衝動的に日本を訪れ、雑誌で倉俣氏のデザインを目にして感激し、勢いで彼の事務所に電話したところ、直接会う機会をくださったことが始まりです。彼の事務所に通ううちに建築の道に行くことを薦められ、倉俣氏の友人だった磯崎新氏にロンドンの Architectural Association School of Architecture (通称 AA スクール) を紹介していただきました。

–写真群「Spectrum」は風景の中から「光と影」や「形状と色彩」が切り出され、静謐なまなざしと洗練された美しさが凝縮されており、あなたのネオ・ミニマリズムの視点を追体験しているような感覚を受けます。

ネオ・ミニマリズムのデザインは、私が生まれ育ったイギリス北部ヨークシャー地方の木々の少ない風景やメソディズムの教会といった原風景から着想を得ています。シンプルで装飾がない。シンプルであることは物質的ではなく、精神的・デザイン的に豊かなのです。私が AA スクールで建築を学んでいた当時は、Zaha Hadid (ザハ・ハディッド) に代表される脱構築主義のデザインが賞賛されており、ミニマリズムのデザインはあまり理解されていませんでした。彼女とは真逆に装飾を極力削ぎ落とした私のデザインは「ただの箱」のように捉えられていましたね。建築のデザインは己の哲学、ライフスタイルが反映されるものです。私は母からシンプルな生活様式を受け継ぎました。母は裕福な家庭で育ちましたが、生活はいたってシンプルで、服も同じものを着回していました。シンプルな生活をしていれば、生み出すデザインもミニマムになっていくのです。

—建築を作る行為と写真を撮る行為に、視座の違いはありますか?

写真は一瞬の光や、何かが存在した瞬間を切り取ったもの。建築や構造物にはそういう瞬間的な概念はない。長期間に亘る耐用のため、あるいは使用目的のために、設計や工事に何年ものプロセスが必要です。どういう雰囲気になるのかは実際に完成しないとわからない。既に存在しているものの瞬間と、これから長く存在していくもの。この決定的な時間軸の違いが面白いと思います。

—「Home」という概念は、建築としての家、生活空間としての家、礎となるもの、精神的な拠り所など、様々な意味を持っています。ジョンさんにとって”Home”とはどのようなものでしょうか?

まるで鏡のように自己を映し出すものです。通常、建築のデザインは自己の延長線上として発現するものではなく、クライアントのオーダーに沿って設計します。一方で自宅は、自分自身の思いを存分にデザインに反映することができるので、全てが私自身と言っても過言ではない。「Home」とは、ある意味でセルフポートレートなのです。