Ladj Ly
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カメラを武器に世界を震わせる、『レ・ミゼラブル』監督ラジ・リの告発

Ladj Ly

photography: utsumi
interview & text: tomoko ogawa

Portraits/

文豪 Victor Hugo (ビクトル・ユゴー) が1862年に書いた小説「レ・ミゼラブル」の舞台である、パリ郊外に位置するモンフェルメイユ。移民や低所得者が多く住む危険な犯罪地域として知られるようになった現代のモンフェルメイユで、イッサという名の少年が引き起こした些細な出来事が大きな騒動へと発展する事件を綴る『レ・ミゼラブル』。本作を手掛けるのは、アフリカ・マリから移住した両親のもと、モンフェルメイユの中でも低所得者用のボスケ団地で育ち、現在もこの土地に暮らす Ladj Ly (ラジ・リ)。アーティスト集団 Kourtrajmé (クルトラジメ) の元メンバーとして、内側からの現実を撮影し続けてきた彼が映すのは、悲惨な現実に生きる悲惨な人たちではない。過酷な現実の中でサバイブする、多様な人間たちの生き生きとした姿である。そして、本作は2月28日 (フランス現地時間) に開催された第45回セザール賞で作品賞を受賞。映画の公開に合わせて来日を果たした彼に、作品への思いを訊いた。

カメラを武器に世界を震わせる、『レ・ミゼラブル』監督ラジ・リの告発

—映画のワンシーンの背景に、ストリート・アーティストの JR (ジェイアール) が、28mmの広角レンズで撮った「Portrait of a Generation」シリーズのあなた自身の巨大ポスターが貼られた通りが出てきますよね。

あれは約15年前だね。

—銃のようにカメラを構えた姿を初めて観たときの記憶がいまだに強く残っているのですが、記録し監視する機能を持つカメラを、武器として生きてきたという感覚があるんでしょうか?

そうですね。あの写真は、遠くから見たときは、本当に武器を構えているのかなという第一印象を受ける。でも、近くで見るとカメラだとわかるようになっているわけだけど、僕自身も自分の住んでいるモンフェルメイユという地区で警察官の暴力的な行為を日々目にしてきたから、それに対する証言者として、且つ自分を守る武器としてカメラを使っていたんだよね。フランスの警察官の失態を僕がカメラに収めたことで、その映像がインターネットでバズって、フランスで失態を犯したフランス人警官が初めて職務停止になったこともある。今までは、全部見逃されてきたんです。僕の映像によって司法が働いた。罪がちゃんと裁かれたということがあったので、僕自身は、若い頃からカメラは自分の武器だということは、すごく意識していますね。

©SRAB FILMS LYLY FILMS RECTANGLE PRODUCTIONS

©SRAB FILMS LYLY FILMS RECTANGLE PRODUCTIONS

—本作でドローンを使って団地内を撮影している少年が登場しますが、Ladj Ly 監督の息子さんが演じられているんですよね。あの少年がカメラを向けていた監督自身と重なっていったのですが、あえてのキャスティングだったのでしょうか?

そうそう。僕の息子なんです。僕と雰囲気が似ている息子に、あの頃の僕が15歳くらいのときのことを演じてもらうのは、意味があると思ったんです。もちろん当時ドローンはありませんでしたし、デジタルカメラが出始めた頃で。実際に、僕はデジカメで撮っていたんですけどね。

—「パリ郊外暴動事件」(モンフェルメイユの隣町、クリシー=ス=ボワで北アフリカ出身の3人の若者が警察に追われ、逃げ込んだ変電所で2人が感電死したことがきっかけに発生した暴動) が本作の題材になっていて、そこから「黄色いベスト運動」へと発展し、郊外問題がフランス国民の問題と認識されるまで、13年の月日が経っています。実際に、郊外問題はフランスでは、関心を持たれていなかったんでしょうか?

郊外で起こっていることなんて、誰も関心を持たないですよ。「面倒くさいだけ」というのがパリ市民の、あるいはフランス全国民の態度だと思う。でも、今回の作品は彼らが見ようとしてこなかった現実を鏡のように提示していて、30年前から変わらずに作品に映されているような状況が続いている。なのに、誰も耳を傾けようとしなかった。その態度は政治家にしても国民にとっても同じことで、だからこそ内側からの証言としてこの作品が存在すること自体に、すごく意味があると思っていて。なぜなら、フランスに暮らす普通の人たちが、本作を観てすごく衝撃を受けたと思うから。

—それは、現実を知らないからですよね。

はい。政治家にしても、パリに住んでいても、モンフェルメイユという地区に足を踏み入れる人なんて本当にいないんで。内側で何が起こっているのかをみんな知らないんですよね。この作品が内側からの証言となって、ようやく彼らを現実というものに向き合わせたことに意味があって。だって、日本の人だって、パリに対して、ファッションの聖地とか Louis Vuitton (ルイ・ヴィトン) とかキラキラしたイメージしかないと思いますけど、そこから20kmも離れていない、1時間もあれば行けるようなところで、あんな現実があるんだということを、今回知ってもらえたんじゃないかなと。

—元々監督はドキュメンタリーを撮られてきていて、今回の作品は実話をベースにしながらもフィクション映画としてつくられています。ドキュメンタリーではできないフィクション映画の力って、何だと思いますか?

ドキュメンタリーは10年以上撮ってきましたけど、映画館でかかりにくいし、テレビに売ろうとしても編集でカットされてしまうという問題があるから、必然的にインターネットで無料動画として流さざるを得なかったんです。ネットにアップしたとしても、可視性という意味で、なかなか多くのオーディエンスに到達しないし、数が国内に限定されてしまう。フィクション映画にしたことで、賞を獲得することができたし、また映画自体が世界中45カ国で売ることができました。オーディエンスにメッセージを届けるという力は、フィクションのほうが絶大に大きいと感じています。

『レ・ミゼラブル』

—Emmanuel Macron (エマニュエル・マクロン) 大統領も本作をご覧になったそうですが、映画をつくる前から彼にも届けようという意思はあったんですか?

つくっている最中ではなくて、カンヌ国際映画祭で審査員賞を獲ったときに、インタビューで「ぜひマクロン大統領に観て欲しい」と言及したんですよ。そうしたら、先方から「招待という形でぜひうちで上映会をしてください」とオファーがあって。僕は、それを拒否したんですね。「上映会をするなら、ぜひモンフェルメイユでしてください」と。つまり、あなたがこちらに来てくださいと伝えたんですが、それは叶いませんでした (笑)。それで、DVD を送ることになって、的確な現実が描き出されていてすごく衝撃を受けたというような好意的な意見をもらって、閣僚らに郊外対策をアプローチするように進言したと話では聞いていますけど、今のところその結果が出ているわけではなくて。待機している状態です。まぁ、政治家の公約は空約束が多いですからね。でも、近々マクロンさんとアポをとるつもりではいます。

—素晴らしいですね。ぜひ直接交渉してください。昨年のカンヌ国際映画祭で、Mathieu Kassovitz (マチュー・カソヴィッツ)、Kim Chapiron (キム・シャピロン)、Romain Gavras (ロマン・ガヴラス)、Vincent Cassel (ヴァンサン・カッセル)、Oxmo Puccino (デイブ・プシーノ)、JRなど、アーティスト集団「Kourtrajmé」のファミリーがレッドカーペットに大集結されていたのが、印象に残っています。

そうですね。1994年くらい、僕が13歳の頃から彼らのことを知っていて、出会ってからかれこれ20年以上経っているんですよね。レッドカーペットという舞台で、家族が再び集まることはすごく意味がありました。

—本作では、“族” という仲間同士の連帯の力強さと、だからこそ起こってしまう不都合の隠蔽についても触れています。監督は、連帯に対しては肯定的、懐疑的、はたまたどちらでもないのでしょうか?

パワーバランスというか、力関係が各部族にあって、いろんな派閥みたいなものがあるんですよね。それぞれの利益が異なるから。でも、唯一共通の利益があるとすれば、とにかく暴動が起こらないように、平穏に事が過ぎることですよね。僕自身が思うに、社会に100%の連帯は存在しない。みんな一緒に手を取り合うふりをしているだけで、それぞれが自分の力を維持するために他人を蹴落とす。そういう世界に僕らは生きていると思います。

—そういう世界で大人の都合によって、一番に犠牲になるのが子どもたちですよね。監督もかつては子どもだったわけですけど、子どもだからこそできていた無謀なことってどんなことがありますか?

映画に出てきたエピソードは、全部実際にあった話からインスパイアされているんですよね。(自身の Instagram の写真を見せながら) これは昔の僕とライオンの赤ちゃんの写真。盗んだのは僕じゃないんだけど、友達が映画の中の子どもたちと同じように退屈していて、夏休みに巡業に来ていたサーカス団のライオンの赤ちゃんを盗んできちゃったんですよね。ちょっとした子どものイタズラなんだけど、そこから銃が持ち出されるような大きな暴動に発展してしまう。些細なことから始まる、という一触即発の状態は、僕自身が体験してきたことです。