Think About
Marcel Duchamp
vol.2

【連載コラム】Marcel Duchamp (マルセル・デュシャン) —アートの可能性を広げた、現代美術の祖—

Think About Marcel Duchamp vol.2
Think About Marcel Duchamp vol.2
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【連載コラム】Marcel Duchamp (マルセル・デュシャン) —アートの可能性を広げた、現代美術の祖—

Think About
Marcel Duchamp
vol.2

by Yusuke Nakajima

アートブックショップ「POST」代表を務める傍ら、展覧会の企画、書籍の出版、DOVER STREET MARKET GINZA (ドーバー ストリート マーケット ギンザ) をはじめとするブックシェルフコーディネートなどを手がける中島佑介。彼の目線からファッション、アート、カルチャーの起源を紐解く連載コラムがスタート。第二回目のテーマは「マルセル・デュシャン」。

書店で多くの芸術家たちの作品集を取り扱う中で、個人的に好きな作家は時代や国を問わずさまざまですが、その中から一人挙げるとすれば最初に思い浮かぶ名前は「Marcel Duchamp (マルセル・デュシャン)」です。この作家の名前を聞いたことがある人も多いかと思いますが、聞いたことがない人でも、彼の作品や彼が作った言葉などは聞いたことがあるのではないでしょうか。

Marcel Duchamp

Marcel Duchamp

Duchamp の作品で最も有名な作品は「泉」と題された作品です。これは男性用小便器に R. Mutt という架空の人物のサインを施した作品で、1917年に開催された出展料を払えば誰でも出品できる展覧会で発表される予定でした。しかし、当時の美術作品の概念からはかけ離れたこの作品に対し、展覧会の協会は出品を拒否、作品が展示されることはありませんでした。これ以降、実物は行方不明となってしまい、当時の出品作品が見れるのは記録写真のみとなっています。

この作品を見たことがない方でも「レディメイド」という言葉は聞いたことがあるはずです。「既製品」を意味する言葉ですが、美術作品にこの「既製品」という概念を提唱したのが Duchamp でした。先述した「泉」も、そのものは Duchamp が作ったものではありませんが、ものを見出し、他の文脈に接続する思考自体を芸術としました。今日ではこの考え方は理解されていますが、当時の芸術からは逸脱した Duchamp の考えに、世間はなかなか理解を追いつけなかったのではないかと想像します。事実、この作品は後世の美術評論家によって「現代アートの出発点」とも評されています。

「泉」の記録写真

「泉」の記録写真

または、「モビール」という言葉も聞いた事があるのではないでしょうか?天井から吊り下げられて、空気の流れでゆったりと動くオブジェの総称ですが、この言葉は Duchamp が考案した言葉です。モビールのシリーズが代表作として知られる、Alexander Calder (アレクサンダー・カルダー) の作品に Duchamp が名付けたそうです。

「モビール」

「モビール」

Marcel Duchamp の史実を確認してみます。1887年フランスの裕福な家庭に生まれ七人兄弟の三男でした。兄二人も美術家として活躍していますが、年が離れた兄たちの影響で小さな頃から絵を描き始めました。高校卒業後にパリへと移住していますが、当時のパリといえば芸術の最先端の地、印象派やキュビズム、未来派といった新しいアートムーブメントがひしめき、Duchamp も少なからず影響を受けています。この当時書かれた作品が「階段を降りる裸体」という油絵のシリーズです。裸体という古典的なモチーフを描いていますが、かろうじて人物と分かる抽象的な形が降下していくように連続しています。

裸体というモチーフの扱い方、時間を一枚の絵に取り入れた描写など、固定観念にとらわれない Duchamp の手法に世間は騒ぎました。保守的なグループからは批判され、アメリカで展示された際には「ヨーロッパの最先端芸術が輸入されてきた」とスキャンダラスに報じられています。この騒ぎで Duchamp の名が世間で知れ渡ることとなりましたが、油絵を巡る世間の騒ぎに嫌気がさしてしまったのでしょうか、1912年以降にはほとんど油絵を書かなくなりました。

「階段を降りる裸体」

「階段を降りる裸体」

油絵の放棄と同じ頃に始めたのが、先に述べた「レディ・メイド」の作品で、一番最初に作られたのは1913年、「自転車の車輪」っという作品です。スツールに、タイヤの付いたフロントフォークが逆さに据えられた作品で、この時からレディ・メイドの作品を数多く制作するようになりました。

Duchamp の作品に関する研究はさまざまな形でまとめられていますので、詳しく知りたい場合にはぜひ研究書を手に取ってみてください。Duchamp が成し得たことで個人的に特筆したいのは、それまでの芸術の概念を打ちくだき、全く新しい芸術のあり方を提示した点にあると思っています。芸術家が手を動かして作ったものでなくとも、そこに作家の思考や展示が付加されることで芸術になるという考えによって、Duchamp 以降の作家は自由を獲得したのではないでしょうか。現在発表されている現代美術の根源を辿っていけば、必ず Duchamp に行き着くと言っても過言ではないほど、画期的な発見だったはずです。

「Étant donnés」

「Étant donnés」

僕が Duchamp のことが好きなのは作品だけではありません。彼の人物像にも惹かれます。芸術のあり方を変えてしまうほどの影響力を持っていた彼は、美術界の中心的人物だったはずですが、残されているテキストやインタビューからは、自ら中心であることを避け、特定のグループにも属さず、少し距離を置いたところから世間を眺めているような印象を受けます。また、声高に世間へのメッセージを発するのでなく、紳士でありながらニヒリスティックなスタイルや、人をはぐらかすような行動にも惹かれてしまいます。実際、1920年代以降には作品を制作している様子はなく、Duchamp はもう作品を作らないのだろうと思われていたのですが、実は1946年から20年以上かけて制作を続けていた未発表の作品「Étant donnés」が見つかりました。誰にも明かさずひっそりと制作していた作品が死後に発見され、美術界の大きなニュースになり大きな騒ぎとなることをきっと Duchamp は見越して、ニヒルな笑みを浮かべていたのではないかと想像してしまいます。

現代アートの出発点を築いた Duchamp ですが、芸術について、こんな言葉を残しています。「芸術家は自分の作品の本当の意味を意識してはいないのであり、作品を解釈しつつ、観客はつねに、その追補的な創造に寄与しなければならない」「芸術家は何かをつくる。そしてある日、大衆の介入によって、観客の介入によって、彼は認められる。… (中略) 作品を作る者という極があり、それを見る者という極があります。わたしは、作品を見る者にも、作品をつくる者と同じだけの重要性を与えるのです。」—デュシャンの世界 (朝日出版社発行) 147ページより—

要約すると「美術作品の存在や意味には、作家と同等に鑑賞者の存在が欠かせない」ということでしょう。アーティストが考えたことは作品の一部、残りは見る人に委ねられているということは、アーティストの考えと正反対の解釈だったり、単純な感想だったとしても、それは作品に存在意義を与え、作品の意味も一部を理解していることになります。現代アートというと、背景や作家の考え、美術の歴史などを理解していないとわからないものだと思ってしまいますが、現代アートの祖がこんなことを言ってくれているのを知ると、もっと気軽で自由にアートを見てもいいのかもしれません。

「レディメイド」を象徴する作品群

<プロフィール>
中島佑介 (なかじま ゆうすけ)
1981年長野生まれ。出版社という括りで定期的に扱っている本が全て入れ代わるアートブックショップ「POST」代表。ブックセレクトや展覧会の企画、書籍の出版、DOVER STREET MARKET GINZA (ドーバー ストリート マーケット ギンザ) をはじめとするブックシェルフコーディネートなどを手がける。2015年からは TOKYO ART BOOK FAIR (トーキョー アート ブック フェア) のディレクターに就任。
HP: www.post-books.info